平時忠の墓
諸行無常の響きあり・・・。
平時忠は源氏に敗れ、文治元年(1185年)に能登の辺地に流罪になり、4年後この地で病死した。その平時忠一族の墓が、能登の最北端に近い大谷峠の谷あいにひっそりと建っており、訪れる人も少ない。今でもかなり寂しいところで、当時は如何ばかりだったかとしのばれる。

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